2022/12/16 14:58

AI時代におけるハンドメイドの価値とは何だろうか。

ハンドメイドで完璧さを追求していては、販売できるものが無くなってしまう。

少なくとも、図面に忠実という意味で完全なものを作るのであれば、それはたとえハンドメイドであっても、本質的な価値としては、競合であるインド製や中国製の機械で製造されたカーペットと同等で、

それは同じ価値基準の上の方に位置するか下に位置するのかという程度の違いでしかなくなるので、ハンドメイドで製造する意味がなくなってしまう。

ハンドメイドの価値は、もちろん手作業の価値だが、では手作業の価値は別の言葉で表すと何なんだろうか?職人の気持ちがこもっているから?それとも、チベット絨毯で言えば、ヒマラヤの魂が入っているから?

それは確かにそうなのだけれども、AI時代がハンドメイドに求めてる価値は何だろうか?

ハンドメイド品の、機械では表現できない部分の「不完全さ」や「不均質さ」に、価値が見出されるような世の中になってきているのではないだろうか?

機械的な直線的なエラーではなくて、人間的なアナログの「ゆらぎ」としての価値。

例えば、全てがオートメーション化され、殆どの物質がテクノロジーでコントロールされるSF的世界の中で、ハンドメイド製品は「かっこ良く」映えるだろうか?

例えば、脳にマイクロチップをぶっ挿して、もうミスタイピングをすることがなくなったとあるエストニア人のスーパーハッカーの、テックガジェットで囲まれたツルツルとした部屋の中に一枚、ハンドメイドのチベット絨毯が一枚だけ敷かれていて、それを敷く理由が、「自分が失った人間らしさを忘れないため」だとしたら、それは「クール」と言えるのではないだろうか?

テクノロジーの時代において、ハンドメイドの「ゆらぎ」が、人類が失ったか、忘れつつある人間性を内包する価値として、光を放つ時ようになる時が来ているかもしれない。

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